○災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。
(災難に逢う時は災難に逢うのがよい。死ぬ時は死ぬのがよい。
それが、それ以上の災難からのがれるための一番よい方法である)
良寛
良寛は、飄々とした言動で知られる、江戸後期の禅僧(曹洞宗)です。
円通寺(岡山県)での修行後、諸国を放浪、生涯自分の寺を持たず、出世にも興味がなく、
清貧の中で、わかりやすい言葉で、民衆に仏法を説いた人です。
私は、この言葉、身に沁みます。そして、とても好きな言葉です。
なぜかと言うと、私自身、重病で死にかけている人が助かりますようにと神仏に祈った結果、
命は助かったものの、その後のその人の苦しみようを見て、
「こんなことなら、あの時、無理な命乞いなどせずに、死なせてあげればよかった」と後悔した事が、何度もあるからです。
なので、ある時期からは、生命の危機に瀕した人のために祈る時は、
「あの人の命を助けてください」ではなく、「本人にとって一番幸せな方向に導いてください」
と祈るようにしています。あくまで本人中心に考えれば、そうなります。
好意が仇になることは、残念ながら、少なからずあります。
好意でしたのだから、何でも許されるわけではないのです。
我々は他者の人生の責任を取ることは出来ないのだから、センチメンタリズムや自分の都合で、他者の命乞いなどはしてはいけないのだと思います。
○死して不朽の見込みあらば、いつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
(死んで後世に名を残せると思うなら、いつでも死んでいい。
生きて大きな仕事が出来ると思うなら、生き続ければいい)
吉田松陰
吉田松陰の言葉からは、もっと積極的な死生観を感じます。
生死を自然に任せるというよりは、生も死も自ら選択するという感じですね。
私は、この言葉、「死ぬだけの価値があるなら、死んでもいい 」と解釈しています。
松陰の死は、刑死という非業の死ではありましたが、
それに奮起した弟子達の、その後の奮闘振りと偉業(明治維新)を考えると、
「死ぬだけの価値のある」死だったと思います。
松陰といえば、17年前に萩(いい所ですよー) を旅した時の、松下村塾跡でのバスガイドさんの熱弁が忘れられません。
曰く、「いい人は皆早死にして、ロクでもない人間ばかりが明治維新まで残ったんです!
松陰先生が長生きされていたら、日本はもっと良い国になったはずなんです!」
松陰先生、愛されてるんだなぁ、と思いましたね。 萩の人にとっては、大きな誇りでしょうね。
今、占い師としての私が思うのは、適材適所。人にはそれぞれ役割というものがあり、
明治維新後の政治の世界では、清廉で理想家肌の人物よりも、もっと現実的で少し狡猾なくらいの人間の方が向いていたと思います。
吉田松陰の役割は、明治維新を成し遂げる人材を育てることと、その思想的・精神的な支えになることだったのでしょう。
そして、その役割は果たしたと思います。
後の事は、後の人間の仕事。一人の人間にあまり多くの事を求めるべきではありません。
「そこまで面倒見られるか」と、松陰先生も草葉の陰で呟いておられるのではないでしょうか^^
オマケ
そのガイドさんは、松下村塾の狭さを示して、こうも言っておられました。
「部屋に入りきれない人たちが外まで溢れて、外で松陰先生の講義を聴いていたそうです。
お母さん方、勉強部屋がないから子供が勉強が出来ない、というのは嘘です!
勉強する気さえあれば、どこでだって勉強は出来るのです!」
まことに、ごもっとも。