たいがいの人間は、人生の人為的苦労と余計な原始的労働とに忙殺されて、その最も美しい果実をもぐことができないのである。
彼ははじめにお茶だのコーヒーだのバターだのミルクだの牛乳だのいうから、そういうものの代のためにはげしく働かなければならず、
はげしく働いてしまうと体の消耗を補うためにまた沢山食わねばならないことになる。
人はしばしば必要な物の欠乏からではなく、
ぜいたく品の欠乏から死ぬような境涯におちいっている。
われわれが自発的貧乏とよぶべきある有利の地点からして以外には、
何びとも人間の生活の公平もしくは賢明な観察者であることはできない。
ぜいたくな生活の果実はぜいたくである。
ヘンリー・デヴィッド・ソーロー 「森の生活」より
これ、70年代のいわゆる「ヒッピー」という生き方の、精神的支柱となった著作なんですよね。
このソーローという人は、俗世を離れて森の中での自給自足の、思索的生活に入り、この作品を書きました。
上記の言葉は、ある意味真実ではあるし、理想であると思いますが、
ずーっとは無理。それが人間。
実際、この人も、2年半位で森を出て、街に戻っていますし。
でも、時々は思い出すと、考えさせられる言葉ではありますね。