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Author:鴫沢(しぎさわ)まり
西洋占星術の占い師です。
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森の生活

たいがいの人間は、人生の人為的苦労と余計な原始的労働とに忙殺されて、その最も美しい果実をもぐことができないのである。

彼ははじめにお茶だのコーヒーだのバターだのミルクだの牛乳だのいうから、そういうものの代のためにはげしく働かなければならず、
はげしく働いてしまうと体の消耗を補うためにまた沢山食わねばならないことになる。

人はしばしば必要な物の欠乏からではなく、
ぜいたく品の欠乏から死ぬような境涯におちいっている。

われわれが自発的貧乏とよぶべきある有利の地点からして以外には、
何びとも人間の生活の公平もしくは賢明な観察者であることはできない。
ぜいたくな生活の果実はぜいたくである。
                           
                  ヘンリー・デヴィッド・ソーロー 「森の生活」より




これ、70年代のいわゆる「ヒッピー」という生き方の、精神的支柱となった著作なんですよね。
このソーローという人は、俗世を離れて森の中での自給自足の、思索的生活に入り、この作品を書きました。
上記の言葉は、ある意味真実ではあるし、理想であると思いますが、
ずーっとは無理。それが人間。
実際、この人も、2年半位で森を出て、街に戻っていますし。
でも、時々は思い出すと、考えさせられる言葉ではありますね。









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葉隠

いつも物を言わないのは腰抜けである。
言葉の使い方、その場での一言、
十分に心に止めておくことだ。

                       山本常朝 「葉隠」より



まるで、現代の日本人に向かって言われているみたいです。
「言葉の使い方、その場での一言」
日本人(特に政治家、役人)、下手ですよね。
もう少し巧く言えば、効果的なのにと思うこと、多々あります。
言葉の使い方次第で、相手の詭弁を封じ込めることも出来るのに。
外交交渉では、特に大事です。
言葉の専門家(作家)をアドバイザーとして雇えばいいのに。
そういうことのためにこそ、税金を使うべき。
費用対効果は大きいと思います。






良寛の言葉、吉田松陰の言葉

○災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。
(災難に逢う時は災難に逢うのがよい。死ぬ時は死ぬのがよい。
それが、それ以上の災難からのがれるための一番よい方法である)
                                      良寛

良寛は、飄々とした言動で知られる、江戸後期の禅僧(曹洞宗)です。
円通寺(岡山県)での修行後、諸国を放浪、生涯自分の寺を持たず、出世にも興味がなく、
清貧の中で、わかりやすい言葉で、民衆に仏法を説いた人です。
私は、この言葉、身に沁みます。そして、とても好きな言葉です。
なぜかと言うと、私自身、重病で死にかけている人が助かりますようにと神仏に祈った結果、
命は助かったものの、その後のその人の苦しみようを見て、
「こんなことなら、あの時、無理な命乞いなどせずに、死なせてあげればよかった」と後悔した事が、何度もあるからです。
なので、ある時期からは、生命の危機に瀕した人のために祈る時は、
「あの人の命を助けてください」ではなく、「本人にとって一番幸せな方向に導いてください」
と祈るようにしています。あくまで本人中心に考えれば、そうなります。
好意が仇になることは、残念ながら、少なからずあります。
好意でしたのだから、何でも許されるわけではないのです。
我々は他者の人生の責任を取ることは出来ないのだから、センチメンタリズムや自分の都合で、他者の命乞いなどはしてはいけないのだと思います。


○死して不朽の見込みあらば、いつでも死すべし。
生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。
(死んで後世に名を残せると思うなら、いつでも死んでいい。
生きて大きな仕事が出来ると思うなら、生き続ければいい)
                                       吉田松陰  

吉田松陰の言葉からは、もっと積極的な死生観を感じます。
生死を自然に任せるというよりは、生も死も自ら選択するという感じですね。
私は、この言葉、「死ぬだけの価値があるなら、死んでもいい 」と解釈しています。  
松陰の死は、刑死という非業の死ではありましたが、
それに奮起した弟子達の、その後の奮闘振りと偉業(明治維新)を考えると、
「死ぬだけの価値のある」死だったと思います。

松陰といえば、17年前に萩(いい所ですよー) を旅した時の、松下村塾跡でのバスガイドさんの熱弁が忘れられません。
曰く、「いい人は皆早死にして、ロクでもない人間ばかりが明治維新まで残ったんです!
松陰先生が長生きされていたら、日本はもっと良い国になったはずなんです!」 
松陰先生、愛されてるんだなぁ、と思いましたね。 萩の人にとっては、大きな誇りでしょうね。
今、占い師としての私が思うのは、適材適所。人にはそれぞれ役割というものがあり、
明治維新後の政治の世界では、清廉で理想家肌の人物よりも、もっと現実的で少し狡猾なくらいの人間の方が向いていたと思います。
吉田松陰の役割は、明治維新を成し遂げる人材を育てることと、その思想的・精神的な支えになることだったのでしょう。
そして、その役割は果たしたと思います。
後の事は、後の人間の仕事。一人の人間にあまり多くの事を求めるべきではありません。
「そこまで面倒見られるか」と、松陰先生も草葉の陰で呟いておられるのではないでしょうか^^

オマケ
そのガイドさんは、松下村塾の狭さを示して、こうも言っておられました。
「部屋に入りきれない人たちが外まで溢れて、外で松陰先生の講義を聴いていたそうです。
お母さん方、勉強部屋がないから子供が勉強が出来ない、というのは嘘です!
勉強する気さえあれば、どこでだって勉強は出来るのです!」
まことに、ごもっとも。
                 








秋の歌

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
    風の音にぞおどろかれぬる        藤原敏行(古今和歌集)


彼岸花の咲ける間(あはひ)の道をゆく
      行き極まれば母に会ふらし      美智子皇后


おしなべてものを思はぬ人にさへ
    心をつくる秋のはつかぜ          西行


虫の音を踏みわけ行くや野の小道        正岡子規


玄関に園児のような菊の鉢            まり


ハムスタースイカのようなぶどう持ち       Iちゃん


山深し心に落つる秋の水             心敬


おり立ちて今朝の寒さに驚きぬ
    露しとしとと柿の葉深く          伊藤左千夫


心なき身にもあはれは知られけり
      鴫たつ沢の秋の夕暮         西行 






「サンドイッチの年」

西洋占星術では1年は春分の日から始まるので、
今は年末といったところです。
今年の総括をし、来年に備える時期と言えます。
そんな時期にふさわしい言葉を。
私の大好きなフランス映画「サンドイッチの年」(1988年ピエール・ブートロン監督)のラスト近くの、この映画の格を一気に上げるような、主人公の古道具屋のおじいさんが雇い人の少年に言う台詞です。
この映画は、ビデオだけでDVD化はされていないようですが、機会があったら是非観て頂きたい作品です。派手さはないものの、心に沁みる映画です。
このまま埋もれてしまうのは勿体無いので、書き記しておきます(ビデオの字幕を書き写したものです)。
特に、今年辛い思いをした人に贈ります。


「今年はバカな事もしたが、お前は大人になった。
そうとも。大人は夜中に泣かないなんて思ったら間違いだ。
涙も人を造るんだ。
今年は辛い事も色々あったろうが、人生に五度や六度はこんなことがある。
残りは何てことはない日々の連続さ。
今年のような年は――ハムの薄切れのようなものだ。
二枚の厚いパンの間にはさまって、つまり――サンドイッチの年だ。
そういう時は、よくかみしめなきゃならん。
カラシが一杯で涙が出ても、全部食べなきゃならんのだ」

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